人気ブログランキング | 話題のタグを見る

白睡蓮・清しくも艶めき咲ける睡蓮の悩める如く涙抱けり



13 秋篠の里

鳴海は東京の展覧会の後、辞表を出すことにした。

 山茶花の垣根に溢れ冬来たる汝(な)に逢はざればと暫し想ひし
 
 包まれて仏の見えず霧の中恐れし心今蘇る

 抱きつつ明日をな思ひ煩ひそと語りし人の声のやさしき


多恵は一人初冬の唐招提寺を訪ねる。

 訪ぬれば想ひ托せる蓮枯れて二人枯れたき不安と願ひ

 その人の妻の心を思ひみて吾(あ)を振り返り歩む池の辺


その帰りに女連れの天野に会う。バーをやっているという。
休館日に二人は花背に出かける。

 際立てる山に秋の陽やはらかく黄に紅に色なす紅葉
 
 恍惚と不安とありて刃を渡る覚悟出で来し吾に驚く

 いやさらにものの視ゆるが怖ろしき確かむべきはいづちへの道


鳴海が東京に出た折、家に帰ると、妻は不在だった。妻が帰ってきたのは午前一時過ぎだった。その朝に。
  
 救いなき夫婦になりて茶を飲めり涙こぼせり悔やみの果てに 

 救いなき夫婦になりて茶を飲めり還ることなき寂寞を見る

帰りに米原で多恵と待ち合わせし長浜に向かった。

 冬の田の蕭条(しょうじょう)として広がれり鴨鍋の彩蕪の糠漬

多恵は日一日鋭敏になる身体の歓びに不安になったりもする。

 重ぬれば鋭くなれる歓びのいや増す今宵紅葉散りばむ

 「ねえ、あなた、なんでも言うこときくから離さないで」と呟きしとき


 ふたりして刃物の上を渡らむと覚悟する夜哀れなるかな

多恵が辞めたのは十一月の末。やがて秋篠に貸家が見つかり、そのための寝具を買いに出た折、多恵は鳴海に街中で偶然出会う。食事のとき、南円堂のの昼の鐘を聞く。

ある日、慶州の秦氏が館に挨拶に来て韓国で美術史を教えないかと誘われる。多恵が慶州で、この美しいまちで暮らしてみたいといっていたことを思い出す。

秋篠の里に借りた一軒家に越したのは暮の二十二日。多恵は天野に会っても「水のようになった」と思う。二十五日で鳴海は館を去った。
二十七日、ふたりは斑鳩を歩く。

 白壁に冬の陽鈍く光りをり思ひ懐かし斑鳩の里
 
 冬の陽の優しき陰の法隆寺釈迦三尊に心預けき

 見失ひ都会の毒に染まりたる己を還す術もなき妻


 ふたりして刃物の上をあゆむゆゑ男に倣ひ心預くる

二十九日の朝、ふたりは聞こえるはずのない「鐘の音」を聞く。

 何故に聞こゆと問われ術もなく抱きて鐘の音聞くばかり
 
 鐘の音の聞こゆる朝に抱かれて歓びの果て吾を失ふ

 忍ぶ身は桶に一束水仙を投げ入れる除夜松飾なく


正月の明け方六時に「鐘の音」を聞く。多恵は秋篠寺に詣でて心を預けた。

 晴れ渡る空に真白きちぎれ雲明るきなかに抱かれてある

五日が剣道場の鏡開き、帰宅すると子供からの年賀状が届いていた。

六日、範子は子供宛のはがきで知った秋篠の家に向かう。

 尋ぬれば塀越しに見る夫の顔の懐かしや定まらぬ目に

範子と顔をあわせた後、多恵は空いたままにしてあるマンションに戻った。
範子は手洗いで便器のカバーを見て、ここに二人は尻をのせていると嫉妬し、はずし捨て、また、鏡を見、多恵を写すものと睨めば、己が醜い姿が見えるばかりだった。
酒の燗をしながら範子は帰ろうかと思う。

 揺るる心戻り道なく何故ここにありしやと問えど答えぬ

 手に握る出刃包丁に身を任す「あなたを刺してあたしも死ぬ」と

 裾に見ゆ夫の毛脛嫉みたり女の肌に触るるを刺しぬ


マンションに戻った多恵は落ち着かなかったが、そのとき聞こえるはずのない鐘の音を聞く。秋篠で聞く朝の鐘と同じ音色だった。不吉な予感がし、急いでタクシーで戻ると、そこには範子に足を刺され、傷ついた鳴海がいた。

 ふたりして刃物の上を渡る覚悟のあるゆゑに耐え忍ばむと

 刃を抜きて縛れば痺る足指を曳きて思ひの重くもあるか

 うつ伏して身の打ち震え止まざるに己が振る舞い嘆き悔やめる

 拒まるを解りしものの奈良に来し朝の辛きを惨めと嘲笑(わら)ふ

 見苦しき姿さらせる吾なるを解き得ぬままに鐘の音聞く


 いましめとならむか春の鐘の音三人それぞれ聞きたりし朝

翌朝、病院の前でひそかに夫に別れを告げた。東京に帰った範子には勝森のマンションしか行くところはなかった。夫を刺し自分も死のう、と決断したのは、あれは本心だったのか。この暗い内面の風景は、もしかしたら生涯消えないかもわからない……。

 音もなく色もなき風虚ろなる身体の中を吹きすぎてゆく

一方、秋篠では、多恵が鳴海が法隆寺で語った友人の歌を引き、「いま一年あなたに従いて行きたい」と語り、鳴海もまた「古風な女といま一年あるいてみよう」と思う。そのとき、鳴海は遠くで春の鐘のなっているのを聞く。
 「春なればいまひととせを生きんとてくらきみだうにこころあずけぬ」

                                          完


最後に、紫苑さんのこの立原正秋「春の鐘」をモチーフにしたお作を転載させていただきます。

 春まだき朝の鐘の聞こゆれば彷徨ふ己が身をし見つむる
 身の裡に帯びる刃(やいば)は不確かで此(こ)に在る生も死も視えぬまま
 ゆるゆると絞むるがごときTOKYOの高架のもとに荒みゐる無為

 みほとけよ四温の雨の帳ごしな見そ現世にまよふ男女を
by byakusuiren | 2011-03-10 22:32 | 歌物語・「春の鐘」
<< 花いくさ 12 落葉 >>


横雲の睡れる蓮の歌物語

by byakusuiren
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
カテゴリ
関連サイト
最新の記事
うたつかい2015年春号掲載..
at 2015-08-13 11:21
2014年の相聞歌
at 2014-12-25 07:51
相聞歌2013
at 2013-10-27 09:22
歌物語「浮橋」
at 2013-02-19 17:16
相聞歌2012
at 2012-12-29 23:21
「花に寄せる恋」百首
at 2012-02-11 18:10
甘き感触
at 2011-11-16 20:37
花いくさ
at 2011-05-24 11:38
13 秋篠の里
at 2011-03-10 22:32
12 落葉
at 2011-03-09 22:35
以前の記事
最新のトラックバック
外部リンク
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧