白睡蓮・清しくも艶めき咲ける睡蓮の悩める如く涙抱けり



うたつかい2015年春号掲載相聞歌【朝桜】

【朝桜】

咲き濡れし連理の枝の花やらむ枕辺に散る桜ちらはら(横雲)
寄する手のうちにはなびら今宵しも世にいくたりの夜桜お七(紫苑)

露のよををしみ亀鳴く夢ぬちに水底の砂掬ひたる果て(横雲)
花筏ともに乗らむと夢そこひ波に揺らるる心地こそすれ(紫苑)

花の雨はた降り止まぬ遅き朝熱き珈琲カップに注ぐ(横雲)
珈琲のカップをひとつ受け取れば眼(まな)にやさしき桜雨ふる(紫苑)


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# by byakusuiren | 2015-08-13 11:21 | 相聞歌(うたつかい)

2014年の相聞歌

2014年の[うたつかい]に投稿した紫苑さんとの相聞歌のまとめです。

うたつかい1月号掲載相聞歌【寝であかしつる春の夜に】 

打ち靡く春さりきたり下草はしられぬ程に露結ぶなり(横雲)
あしひきの野は下草におく露をふふみてやさしかよひくる風(紫苑)

春風の下照る桃の甘き香やうつし身のなほ夢にまされる(横雲)
うちなびく春のなさけに夢ときく桃がほつえに啼くとりのこゑ(紫苑)

たけり綰(た)けをりしく波にのまれつつ寝であかししもあかぬ空かな(横雲)
いさらゐに名残の花の咲きつればゆふべの春を夢と思(も)ふやは(紫苑)

「春の夜、女のもとにまかりて、あしたにつかはしける/かくばかり寝であかしつる春の夜にいかに見えつる夢にかあるらむ 能宣」(新古今)をもとにしたものです。


うたつかい4月号掲載相聞歌【寝もせで明かす春の夜】

憂ひつつ寝もせで明かす春の夜ながめ恃むも影おぼろなり(横雲)
あふみとふしるべをたよりたまかづら面影したふ春のよひやみ(紫苑)

さす棹に舟揺らぎゆくあふみの海みるめ刈りつつなほやうらみし(横雲)
波だたふ海にゆらぐかふかみるの深めておもふ葉のうらおもて(紫苑)

なびき藻のくるや苦しきみだれ髪梳くや隠れし心濡れゆく(横雲)
おきつもの靡きもあえず梳く髪に揺るるこころのありとこそ知れ(紫苑)


うたつかい7月号掲載相聞歌【色めき開きゆくはちすの花を詠みて】

葩(はなびら)に濡れ色露を零(こぼ)しつつ潤みて堅き実を撫づる風(横雲)
しろたへの夕風なづる花の床に眠りし青き実のあらはれぬ(紫苑)

蓮花を亀のつつくや葉の揺れて映す水面に淡き波立つ(横雲)
みぢか夜や波たちやまぬ水の面に浮き葉の露をあまた結びぬ(紫苑)

はちす葉にまろびあひつつ白玉の触るるや果てて花開く朝(横雲)
咲き満てるはちすの花をふるはせて朝の鐘のはるかに聞こゆ(紫苑)


うたつかい10月号相聞歌【花野】
あきちかう萎(しぼ)めるわが身いとほしやむらさきの花咲くを待ちかぬ(横雲)
夕づくよ花野に咲かふななくさをそぞろ摘みつつ君を待ちをり(紫苑)

たづぬるに遥けき野辺のむらさきの君が下紐ゆふともとけよ(横雲)
月映(つきばえ)のもとにあかるむ萩花のみとひらきてはふりこぼす露(紫苑)

夜の深み露に数そへ鳴く虫の花野に酔ひて声も惜しまず(横雲)
はたすすき露すがる穂の重りゆき長のねむりに秋ふかみゆく(紫苑)



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# by byakusuiren | 2014-12-25 07:51 | 相聞歌(うたつかい)

相聞歌2013

2013年の[うたつかい]に投稿した紫苑さんとの相聞歌のまとめです。

2月号
「等々力の谷にて」
木漏れ日の谷間を分けて清水汲むなが名を呼ぶやそよと応ゆる(横雲)
谷あひに流るる水脈(みを)を訪ねあて汲めばふたりの若水となれ(紫苑)
埋もれ木の朽ちたる谷にさ丹頬(につら)ふ妹(いも)濡らしつる細水(ささみず)を愛(め)づ(横雲)
湧き水をしづかにすする喉骨のふるへはわれの底ひをつたふ(紫苑)
紐の緒のいつがる妹と結ぶ夢絶えぬ契りと酒(ささ)酌み合へり(横雲)
くさまくら結ぶえにしの酒酌めば寒のさくらのはや咲きにけり(紫苑)

4月号
「桜吹雪」
桜舞ひ蝶舞ふ宵ややは肌の撫づればほのに染まりて愛(いと)し(横雲)
はるの夜の夢ばかりなる花かげにをてふめてふの游びたはぶる(紫苑)
屠(ほふ)らるを待ちて溢るる花の蜜こまやかなればさらに穿(うが)てり(横雲)
花あらしふぶかば落ちむしきたへの常夜みだるる春のいそぎに(紫苑)
まさぐればつきづきしくも崩れ行く春の夜の夢果てて身の融(と)く(横雲)
桃潮のよせてはかへす夜の闇にあふるる花ととほき海の香(紫苑)

7月号
「七夕に寄せて」
あふ事のいつにやあらむ鵲(かさゝぎ)の橋ふみもみず行き惑ふ闇 (横雲)
ぬばたまの夢にかも見むかささぎの橋はいづくに君おはします (紫苑)
待ち待ちてうつつになるや赤き糸手繰り結べる一夜嬉しき (横雲)
ひさかたの天の川辺をわたりくる風を待ちつつほしあひの夜 (紫苑)
紐解きて丹のほの面わ極まるや濡るる裳裾に棹撞き果つる (横雲)
つるぎだち身の極まるやまなうらに彩いろしるき遠花火みゆ (紫苑)

9月号
「秋の野に咲きたる花を」
さを鹿の分け入る萩の花乱れ露こぼるるや偲びねになく (横雲)
波だたふ尾花に添うて咲く葛のくれなゐ深む秋のゆふぐれ (紫苑)
下露の色そふ玉の緒を繰りてなでしこの花満つるをたのむ (横雲) 
おみなへし咲きたる野辺のまなうらに拡ごりゆけり焔のごとく (紫苑)
脱ぎかけし藤袴ぞも紫の香に酔ひ夢の短夜や明く (横雲)
差しのぶる腕(かひな)に寄りて目ざむればけふ咲きそむるあさがほの花 (紫苑)
(山上憶良の「秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花 『萩の花 尾花葛花 撫子が花 女郎花 また藤袴 朝貌の花』」をもとにしたものです。)
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# by byakusuiren | 2013-10-27 09:22 | 相聞歌(うたつかい)

歌物語「浮橋」

 横雲の「題詠blog」2013に投稿したものをまとめていきます。
順次更新しながらなので「物語」になりますかどうか。


設定人物
慶介(病身の妻あり・聡子の父の妹の連れ合い)
芳江(慶介と密かな逢瀬の年を重ね来た女・夫とは十年前に離別・子ありやがて気づかれる)
聡子(慶介の姪・OL・父を幼くして失くし慶介を慕っていた)
美咲(芳江の娘・高校生)
四人のそれぞれの心を詠う。



芳江と慶介が出会ったのは十年ほど前のことだった。慶介が四十を過ぎた春、出張先で知り合ったのだった。
それから三年ほど過ぎた春に、慶介の単身赴任を契機に更に関係が深くなり、密会を重ねるようになっていた。だが一人で子供を育てている芳江はなかなか家を明けられず、ここ数年は、月に一度の昼間の逢瀬と年に一度の泊の旅が決まりごとになっていたのだった。
だが、この春に赴任を終えると同時に慶介は妻の介護に専念する状況となっていた。

二月下旬、慶介と芳江の二人は、泊りがけで出かけることはこれが最後になるかもしれない年に一度の逢瀬で、梅見を楽しみ、久しぶりの夜を過ごした。

いとほしいや新肌(にいはだ)触れし春の夜は十年(ととせ)を過ぎて更に色濃し

添ひ臥して耳に残れる甘噛みの疼ける夜は眠らずにをり

各々の願ひ交はせる夜のあればのどやかにして空の明け行く

過ぎゆける十年(ととせ)を偲び睦み合ひやがてながめし明けの空かな

空高く叫(ひめ)く鳥飛び明け行けばやがて悲しきいとま告ぐ時


聡子は、「叔父様」と呼んでいるが聡子の父の妹が慶介の連れ合いで、父を早く亡くしていた。慶介を父のように慕っていたが、慶介の妻の具合が悪くなってからは、単身赴任していた慶介を援助し勤めながらも留守宅の妻の買い物などの面倒を見ていた。聡子には慶介への密かな思いがあった。

草が若やかに色づきはじめ、けしきだつ春霞に木の芽もうちけぶるようになると、人の心もまた騒がしくなるものなのだろうか。

君のいる街への定期乗車券残る日数の虚しくなりぬ

葦の根の別けても人の恋しきに身をつくしてやひとよに濡るる

瞬(しばたた)く瞼に隠す哀しみを気づかぬままに見送りしかな

テーブルに頬杖を突き眺めいる君の姿のなほいとほしき


実家に帰ってきた日、妻の世話は「もういいよ」といった後、「傍に居たい」と身を寄せてきた聡子を慶介は抱きしめていたのだった。

梓弓いるさの山の月影にほの見ゆ君の媚(こ)ぶる色賞(め)づ

来む春を待つや初音の囀るも習はすべくにかひなかるらむ

深き沼(ぬ)に入る影わづか春霞おぼろけならぬ契りと思へど

ねに鳴ける梅の極枝(はつえ)の鶯(うぐひす)のなかぬ日あるを君は知らじな

春の夜の更けてはかなき夢追へば叶ひしことやうつつならなむ

塞き敢ふも吐(たぐ)れる想ひ歌にして叶ふる恋におどろかれぬる

年強仕事麗しく生きし日に君に出会ひて蹌踉(よろぼ)ひたりき


逢うことは常ではなかったものの、実際離れてみると、芳江には思いが募った。

あしひきの山の彼方に去りゆけど通ふ心はひとつなりけり 

恋の闇迷ふ心の闘ひて明けぬる空に残りたる月

春の月同じ想ひに眺めかし朧に濡れて雲崩れたり

嘆けとて色香を散らす桜かな帰らぬひとの涙ならむや


慶介にとっても思いは同じだったのだろう。芳江にはこんな歌を返していた。

一人舞う静御前や仲の春眉を払ひし君を懐(おも)へり

目覚むれば涙に濡るる梨花一枝開くる帳(とばり)に面影ぞ立つ

合ふも不思議合はぬも不思議夢頼むあしたの床ぞおきうかりける 

敷妙の手枕(たまくら)恋ひてひとりねの夢の名残をさだめかねつも


聡子を抱いたものの慶介は悔やんで「これきりだよ」と言い聞かせ、そっけなく連絡も取らないでいたのだが、一夜の契りに聡子の想いは更に募っていった。

夜深み灯(ともし)滅(き)ゆるも暗きまま燃ゆる心ぞむなしく滾(たぎ)る

言ひ期(き)せし言の葉守(も)りて鎮めかし消えぬべき身を闇にうづめり

汝(な)が真似に銜えしタバコメントール咽(む)せしは苦き涙ならずや

揺らぎつつ幾(ほとほ)としくも溺るがに離(か)れたる君の行くへ探れり

春の野に追へる逃げ水はかなくもいかでもらさむなみだの袖に 

魂の緒の玉に勝れる財(たから)とて乱れ緒解かば君還り来む 


こうした聡子の想いには慶介は応えぬまま、やがて季節は夏を迎えようとしていた。
芳江からの便りがあり、応える慶介は昂ぶる気持ちを抑え難くなるのだった。

初夏(はつなつ)のはずれ(葉擦れ)の音の子守唄隠れし月の影やかそけし

逢はざれば猛り立つ身のいかにせむ子守唄とてやすらふものぞ

夏雲の猛れる峰の奇(あや)にこそけふは恋しき人の面影

はしけやし羽刺に託す勢子船の漕ぎて銛(もり)打つ気の昂ぶりて


聡子からも便りが来る。それに慶介は応えていた。

寝(いね)し後悔し泣きする宵重ぬ憧れし日は嘆き無かりし

うらみても少女(をとめ)の心みてしがな葛の葉陰に物をこそ思へ

葛の葉の恨みの風にかへる日やいひしにかなふおもて嬉しき

イエスともノーとも知らず憂きものは身を心ともせぬ世なりけり

わが前に立て銃(つつ)の礼謹しみて心も身をも謝らせたし

玉の緒のよるはたえせす誇りかにわが前に立つ君を待ちゐる


こうして、聡子のいだかれる夢は実現することになったが・・。

秘密裏に二人で分かつカステラを罪と判りてなお愛(いと)ほしき

若干(そこばく)の罪を重ねしよの苦くとにもかくにも想ひ捨つべし

眠れない夜は涙を滲ませてそっと撫でてる慣れたる記憶


だが、慶介にはやはり聡子はこれ以上親しんではならないという気持ちが強く、自分には他の人がいるのだと打ち明けた。気持ちに整理つける意味もあって妻の介護を聡子に頼み、慶介と芳江は久しぶりに初夏の穂高・高山・上高地を巡る旅に出た。

雲のなき日本アルプス登り行くロープウエイは青空に融く

枕上(まくらべ)に喋喋喃喃秘かなり夢路にふける山旅の宿

見し夢に間(あい)の楔びの堅かれと飛騨の匠に恃めしものを

飛騨の里繋ぎとめたく掌(て)を合はせ更け行く夜を惜しみたるかな 

アルプスの父と呼ばるるウェストンの眼に賑わえる山の初夏(はつなつ)

寄り添ひし腰の括(くび)れに手をやりて萌ゆる緑を花を愛でたり

返り花互(かたみ)に見詰む眼の奥の青葉にかなふ想ひ新たに


旅から帰った慶介から旅の土産の「さるぼぼ」をもらって聡子は不機嫌な顔のまま帰った。
その頃聡子の詠んだ歌。

憤る般若(はんにゃ)の顔は見せまいと思へど辛き縁(えにし)の守り

バンザイの「さるぼぼ」抱きて涙してダブルネームの人を恨めり

雨衣受戻したき身のあればすがる心ぞやむは悩まし

ひとり身を商山に入る月夜かな共に見上ぐる契りもなしに

駄目のみの残るひとよを嘆かひて隠(こも)り恋ひつつなけるひぐらし


この聡子の歌に応えたものか、慶介の歌。

善悪の報ひの影の随へば見上ぐる月の清(さやけ)けきも憂し

歎くまに五衰の穢れ影増せり契れる袖の褪せにけるかな 

契りおくも真秀(まほ)の詞(ことば)とならざるに猶恋ひやまぬひぐらしのこゑ


芳江もまた歌を慶介に送ってきていた。迷いの中に彷徨うしかなかったのだろうか。

永遠(とこしへ)に迷はむものか涙川わたる淵瀬のしるよしもがな

縒り掛けて恋ふれば苦し魂の緒の何処(いづこ)をはかと彷徨(さすら)ひぬべし
 


慶介の妻は心筋梗塞を患い劇薬の助けをかりるほど不安定な状態ではあるが、夜の生活は禁じられていたものの普段は安らかな家庭生活を送っていた。具合が悪くなると何かと聡子に手伝ってもらうようになっていたが、それというのも早くに父親を亡くした聡子が幼いころからよく叔父の慶介を父のように親しんで家に出入りしてからだった。聡子が成長するにつれその姿が妻の若いころに似ていくのを慶介は不思議なものと眺めていた。妻の若いころの洋服を貰って着ているときなどは時に驚かされたが、慶介が聡子を好むのもそこにあったのだろうか。聡子の一途な想いをどうすべきか迷いながらその若い体を求めてもいた。


踏み入りて闇に迷へる獣道忍ぶやいづこ花の匂へる 

氏神に赦し請ひたり涙川うくもそぼちてほしぞわづらふ 

確かなる別るる所以上枯(うはが)れし忘れ草こそうつろひの花 


慶介と聡子とは逢っては別れを言い、別れを言った後でまた逢うということが繰り返されていた。

いかにして道なき恋に天刑の行方知るべき霧のうき橋 

投げ返すせりふを知らず黙したり恥ぢらふ身には懲らしめの技  

乱れつつせきれい(鶺䴇)叩く水の辺に心許なく空見上げたり 


それにつれて芳江との逢瀬は間遠になっていた。

かきくらす心の闇に墨染の袖ふる人のまぎれけるかな 

兄弟(はらから)は如かず妹背ぞ四方(よも)の海ただよひゆきて恋の散り果つ


関係が間遠になってに気分の振幅が激しくなったからか、芳江はそのことで娘に慶介との仲を覚られ、それが道に外れるものと娘に諭される。

糺(ただ)すごとひたと視る瞳(め)ぞ真愛(まかな)しき涙の責むる痴れる心に 

芳江の娘美咲に急かされて、上京する機会に三人で会うことになった。黙しがちな二人を前に娘は笑顔で楽しげに高校生活を語っていたが、慶介と二人になったとき、この後どうするつもりなのか、「覚悟はあるのですか」と美咲は問う。娘の勢いに押され慶介は「すまない」の言葉を発していた。

青鳥の怖るるなしに啄ばめば熟れし柿落つ秋の暮方 

若鮎の質(ただ)す心得意図透けて清き流れに洗はるるかな  

背を向くや産毛の残るぼんのくぼ若きに動くこころ恐ろし 


慶介は翌日そのまま東京に残った芳江の娘を夕食に誘った。

己(おの)が秘史語るも虚し若人は懺悔の弁に笑み返したり  

死ぬ程に別れ辛いと「星影のワルツ」をうたうひとの幼し 

ほころべる赤ら嬢子(おとめ)を誘(いざ)なひて良らしや花の咲くを見まほし 

うそばっか清少納言にあらざればしたり顔にも花は咲くまじ  

うっすらと笑みこぼしつつ手厳しき応(いら)へも嬉し花の咲きなば 


そんなやりとりの後には、美咲と慶介の二人は秘かにこんな折句もやりとりもしていた。

梓弓入さの山に師の君と手遊びのわざ夜ぞ更けゆくに  (折句・あいしてよ)

悪しき道誘(いざな)ひかくる小夜更けぬなが名を呼ぶや言ふ甲斐無くも (折句・あいさない) 

コケティッシュな美咲ではあったが、賢明にもそれ以上には仲を深めようとはしなかった。
それにつれ、このことがあってから、芳江と慶介の仲もいっそう離れていくようになった。

いかがせむ身の修まれる日のあるや迷ひ果なむはれぬ恋路を 

身を責めて自分探して彷徨ひぬ凍れる路の融くる日あるや  


一方、慶介と聡子とは切れようとして切れぬ関係が続いていた。

山吹の止む時もなく柔肌を八重につつむも実を探りくる  

われがなほ折らまほしきは八重霞薄き衣になりし君はも  


やがて年も明けた。

春風に寄り添ひ居れば夢に見つ左扇を歓べる日を 

お飾りの歯朶青々と艶あれど恨みのしろく重ぬべきかな 


一方、美咲は慶介と疎遠になってからの母気力のなさを心配していた。

二人してぼんやり過ごす年の明け寡婦めく母の老いゆくをみる 

餅花の何華やぎて女正月ふるすばかりの音に鳴けるかな
 

その頃、美咲が慶介に贈り、慶介が返した歌にはこんな歌もあった。

  
手弱女の恋ふる心の揺れにけり夢に見えつる君つれなくも 

夢といへ己が要らざる差し出口数ならぬ身は忘れ果つべし
 

このようにして慶介からは次第に離れていく母娘であった。
それに比べると慶介と聡子の仲は、なかなかはっきりするということがなかった。

泡沫(うたかた)の唯(ただ)一途には非ざるも消えてはかなく離(か)るれば恋し 

逢えばまた鯨波寄せ来る如くして一夜限りの身をゆだぬかな  

ひたすらに破局に向かふ心地せり逢ふは限りと夜ごと誓へど 

女(め)の数多(あまた)ドアツードアの君なればそねむかひなく思ひねになく
 

これらの聡子の歌には、慶介はそれぞれ次のような歌を返していた。

吾もまた縁なき衆生(しゅじょう)と見捨つらるまつもかひなくふけゆけるかな 

浮き橋の間覚束なきは世の例(ためし)一夜限りと重ぬる夜も 

誓へども季節外れに咲く花を帰り狂ふといふも更なり 

恨まれて証しを立つるうたかたのうき身ぞ哀しひとり泣かるる
 

この二人の付き合いを遠く離れたといってもやがて芳江も知るようになる。
その芳江の慶介に贈った歌。

濁り江に澄むこと難(かた)き影ぬれてふりまさるらむ五月雨るる夜

慶介の返し。

曇り夜の恋路に惑ふ隠し文かつ恨みてぞうきになかるる

さらに芳江の返し歌。

五月雨の止むも止まれぬ忍ぶ恋忘らるる身のよにふりぬべし


はてさて、この三人の恋の行く末のいかなるものかを知る人あらむや。

             (完)
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# by byakusuiren | 2013-02-19 17:16 | 歌物語・浮き橋

相聞歌2012

今年(2012年)[うたつかい]に投稿した紫苑さんとの相聞歌のまとめです。
「歌物語」の形にはなっていませんが、ここに「物語」があることは確かです。


5月号
 【隠沼(こもりぬ)を探りて】
開きゆく隠沼美(うま)し露けくも根蓴菜(ねぬなは)探り妹(いも)が名呼びつ (横雲)
賊が家に来るな厭ひそ根蓴菜の苦しきまでに君の恋ほしも (紫苑)
賤の男は覗きし沼にものいはず白露をける木賊刈りたり (横雲)
剣太刀身におく露を愛でつれば荒ぶる神の君に降り来る (紫苑)
梓弓いれる抜き身の荒ぶるにあからひく肌飽かずねぶれり (横雲)
玉櫛笥開けば容るる君が身を愛(いつく)しみつつ夜も更けにけり (紫苑)


6月号
 【夏引きの】
あだなみの乱れて臥せるなが髪を撫づればあやし濡るる手枕 (横雲)
入れ紐の結ぶ縁の片糸の乱れて今朝はものをこそ思へ (紫苑)
うたがはじ恨みじとのみ念じつつ夢路に遊ぶ君を恃めり (横雲)
烏羽玉の夢を儚み目覚むれば温かき胸かたへにありぬ (紫苑)
ふたりして夢に結べる下紐の我ならずして誰や解くべき (横雲)
ひさかたの雨の上枝(ほつえ)に落ち来ればふたたび解かむ露の下紐 (紫苑)


10月号
 【避暑地にて】
林出で影濃き道に匂ひ立つ栗の花踏むなれを想ひて (横雲)
仄聞かむ君の踏みにし栗花の香ぞこの宵を寝ねがてにする (紫苑)
露抱く花拾ひけり朝涼のそぞろ歩きになを偲びつつ (横雲)
つゆのひぬまなきとこそ知れ野辺の花まつ風しげきよをふる袖の (紫苑)
夕暮るもぬなはの池の熱冷めず浸せる指にまつ風のしむ (横雲)
朝霞けぶるぬなはの池に咲くゆかりの花に置きし露はも (紫苑)


12月号
 【ふゆごもり】
かへり花ひとつ咲いたりひさかたの夜を過ぐしし仮寝の宿に (紫苑)
玉の緒の乱れてよるの狂ひ花芯開(はだ)かりてきざす紅(くれなゐ) (横雲)
あさかみの乱るる昨夜(きぞ)のかなしけれ明けに片照るつはぶきの花 (紫苑)
添ひ寝(な)せば火照る名残の寄せ返し撓(とを)む艶葉や目(まみ)に露生(あ)る (横雲)
ふゆごもり春をしたひてふたり飲む桜湯のはな浮きつ沈みつ (紫苑)
埋もれ木の人知れぬとや思はまし隠(こも)り小春の君に沈(し)もれり (横雲)

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# by byakusuiren | 2012-12-29 23:21 | 相聞歌(うたつかい)

「花に寄せる恋」百首

 今でも季節の移ろう中で咲く花を見て古い恋を思い出すことがあります。まだ未練を残しているということではありません。それは、今は「思い出」だと、新たな自分に期待しながら振り返ってみたのです。

  我が庭に汝(な)が植えたりし形見なり今を春べと花の香れり

彼に出会ったのは、勤め始めてまもなく二年が過ぎようとしていた時でした。
この春から本社に新たな部が出来ることになりそこにその準備に転勤してくることになるという挨拶をしに立ち寄ったのでした。挨拶の後、外に出る仕事のついでに駅まで見送りましたが、その折ビルの傍らに蝋梅の咲いているのが見えました。まだ二月の始めでした。


  偲ぶるは出会ひし日なり咲き競ふ黄色き梅の隣に立ちぬ

  霜柱光溶け行く庭陰に山茶花の紅散り敷きてあり

それからは私は準備の仕事を仰せつかり、部署開設のお手伝いをするようになりました。支店と行き来する彼と共に一緒に元の支店に出かけることもありました。

  月おぼろ旅果つる日や福寿草咲き始むかに蕾膨らむ

彼がこちらに来ていた時にはお茶会にでてもらったりしたこともありました。その頃は個人的な話もするようになってもいました。

  椿咲く帯締めて点す茶の濃きは忍びかねての色やいでける 

お互いに何故惹かれたのでしょう。支店から送られた文書の中に、私宛の手紙が入っていて驚いたこともありました。

  春深み時代蒔絵の梅文箱初めての文取り出だし見る

いつ思いを寄せるようになったものか、自分でもよくわかりません。二人でいたいという自分の心に気がついて恥ずかしく思ったりもいたしました。

  一面に金盞花(きんせんか)咲く広畑に賑はふ声の驚ろしきかな

やがて仕事にかこつけて外で会うことにしたりしたのはどちらからだったでしょうか。

  うららかの春の陽浴びて深見草咲くを待ちつつ君を待ちつつ

思いが募るのをむしろ楽しんでいたように思います。

  泣くほどに歎きのふかく杉の花程々ししくもなりにけるかな

二月の末にどうして知ったのか受け取った書類に手書きのカードが挟んでありました。

  誕生のカードに添ふる桃の花紅(くれなゐ)匂ふ乙女なれとや

彼がみずみずしい水仙が咲いていたと準備室に持ってきたこともありました。

  咲き揺るる鈴蘭水仙刈り取られ汝(な)が手に抱かれ揃へられたり

あわただしい開設準備の中に時は過ぎていきました。

  山巓に眉月出でておぼろなり満作の花ほころびけぶる
              
  芽吹きたる柳の風を逆髪と見ゆるは吾の心なるらし

  偉丈夫と比べられたる樊噲草(はんかいさう)谷間に咲きて誰守るらむ

  汝(な)と吾の相関図書き迷ひつつ消し去る夜に沈丁花の香

  山を抜く力のあるや雛罌粟(ひなげし)の想ひ深かり吾は咲きなむ

  木蓮を下に従え咲く辛夷(こぶし)空の青きに君来るを待つ

  希(ねが)ひつつ辛夷のもとに佇めば君来る音の遥かに聞こゆ

いとしさが募っていくのを見つめているばかりでした。

  花束をそっくり其の儘胸に抱き笑(ゑ)まひは満ちぬ君が心に

三月の末にはさらに忙しくなり、外で会うこともなかなか出来ませんでしたが、そんな日に突然告白されたのでした。

  突然の劇しきハグに身悶えて花弁(はなびら)散るも嬉しとぞ見き

  散る花は君の示せる情(こころ)かと辛夷(こぶし)の空を仰ぎ見てをり

  突然に黙りこくりし吾が面(おも)を包む優しき手ぞ恋の花

そのときの嬉しさは今も忘れません。

  必ずや君に応へむ吾が恋ぞ白木蓮に密かに咲ける

  君が手は馬酔木(あせび)の花を手折るかに優しく愛でて髪弄ぶ

  牡丹花のひとひら散りぬ手にとりて触れなば吾もはや散りなまし
             
四月に新たな部は無事開設にこぎつけました。
開設して一週間は瞬く間にたち、やっと落ち着いたところで部のお花見の宴が催されました。宴の後誘われて私達は始めてホテルに向かいました。酔ってもいましたが、嬉しい誘いでした。


  惑(まど)ひつもシャワールームの音消えぬ桜並木の見下ろせる夜

  桜舞ふ艶めく夜やいやいやと機嫌損ねしそぶりみせつつ

  脂下がり煙草咥える後ろ影窓の外(と)に舞ふ桜しきりに

  宴の座の跳ねて酔漢散り散りに去りてなほ散る夜桜の苑

  敗れ傘一つ残りて桜散る夜明けの苑の倦みて物憂し
       
  別る朝大人気なきも袖引きて当てなきままに歩む花陰

  覚めやらず詰まらぬ嘘を繰り返し別れを伸ばす花陰の夢

  偲ぶるは夜の三春の滝桜今年の春は如何に咲くらむ

  聞き蕩(と)れる鶯去りて咲き満つる桜の苑に君見送りぬ

  別れ来て衣かたしくさむしろに形見の桜ひとひら溢(こぼ)る

この眠らぬまま明かした一夜は今も鮮明です。
その後、私達は普通の恋人同士であったはずです。


  ほんのりと歌右衛門注(さ)す頬紅の艶の偲ばる鬱金(うこん)咲きたり

  見上ぐれば老いて槎牙(さが)たる桐の木に淡き紫降るかの如し

  海棠に吾を喩えし目的を君言はぬまま笑ひて帰る

  花時計巫山戯(ふざけ)て暮るる春の夜に足蹴(あしげ)にしつも君のいとほし

  紫蘭咲く叢(くさむら)深しどの花を摘むべきものか勤勉強ひて

ベットで「花時計」という体位をせがまれたり、こちらからせがんだりするようにもなっていました。

  陽高き夏満喫の海岸に手をとる君と露草見つく  

  紫陽花の色変わりゆき吾が恋の行方いづこと稲荷に詣づ

  陽を浴びて梔子(くちなし)の花咲き初(そ)むる白き輝き吾に注ぎぬ

  恋の色あせぬを願ひ千日紅ドライフラワーにして君に送れり

彼との行き違いが出来たきっかけは今でもわかりません。聞くことも出来ませんでした。ても、逢えないことが多くなっていきました。

  逢えぬ日は天罰ならむと諦むか枯らしたる百合いかにせましや

  匂ひせぬ金木犀の木の下に佇み思ふ咲く日のあるを

  言ひ訳を答ふるさとき君の語を空しく聞けり睡蓮咲くも

「これきりにしよう」という言葉を聞いたのは夏の盛りの過ぎる頃でした。

  謎めきし言葉残して去り行けば戸惑ひて見る姫百合咲くを

  振る舞ひを敷女(しきめ)めくとも見ゆるかに捩花(ねぢばな)ひとつ置きて帰り来

  懇ろに夏の花活く君来(きた)る願ひかなはではや月も出づ

  囲はるる身にもならむか梔子(くちなし)の腐(くた)して散りて夏の夜の果つ

帰省すると勤めだして間もないというのに廻りの人から結婚の話が出ます。迷うというより困惑するしかないのでした。

  里方に向日葵(ひまわり)咲くも世話好きの言葉うるさく逃げて帰りぬ

  お見合ひを疎み渋るをいぶかれる母の瞳に百日紅(さるすべり)揺る

やがて秋。

  武蔵野に蓮華升麻(れんげしょうま)ぞ開きける木陰の風のそよと涼しく

  きっと来るきっと来るとて待ちゐるに松虫草の花凋みたり

逢えば乱れるしかありませんでした。

  久々の訪ひありし夏の晩(くれ)乱れて咲くや芙蓉に似せて

  糠雨に待宵草の濡れて咲く吾(あ)を偲ぶらむ下紐解けぬ

追えば逃げるというのは真です。

  更に又激しくなるや涙雨芭蕉打つ音の夜に響けり

  ざんざ降り貝塚伊吹濡れに濡る拾ひに行かむか恋忘れ貝

それでも捕まえるときもありました。

  下女のコスプレゼントルマンに仕へる技と蝶翻り薔薇捧ぐ 

乱れてもみました。でも、彼は会うことも拒みました。

  日のうちに色変へてゆく酔芙蓉企み知りて君来たらずや
         
  無花果(いちじく)の割れて甘かり君が語を回転軸に吾(わ)の生めぐる

  逢ふことの叶わず久しぶり返す想ひぞ深き深草の葛(くず)

  堅き実のはや色づきて七竈(ななかまど)我が身も堅き志得む

彼にはっきり「他の人と結婚する」といわれたとき「やはり」と思いつつ自分の立場をどこに置けばいいのか混乱の中に落とされるばかりでした。

  酢漿草(かたばみ)の触るれば爆(は)ずる実の如く君が言葉に涙の散りぬ

  息留めて君が言葉を聞きをれば吾は荒地の盗人萩(ぬすびとはぎ)ぞ

  汝(な)と吾と鎖連歌の如くして現の証拠に念断ち難し

  見上ぐるは榎(えのき)の巨木一里塚千鳥は来れど君ぞ来まさぬ

  サッカレー愛しき人を失ふは次善と言へり一位の実は毒

  身を助く芸もあらざり烏羽玉の夜の更けゆけど夢だにも見ず

  籠鳥の雲を恋ふかに眺むかな槻群(つきむら)の色日々変わり行く

  狭衣の帯解き放つ夢を見つ月にあかあか曼珠沙華満つ

  萩の寺庫裏の衣裄に投げ掛けし蝶の帯あり人影の無く

  倦むほどに無精になれる吾なれや寂しき日陰杜鵑(ほととぎす)咲く

  強き香の溶け合ふ風に闇探る黙(もだ)せし君よこの恋いづこ

  必ずや桃夭(たうえう)の歌うたはしむと父に誓ふも桃既に枯る

  寝転びて君来ぬ昼のけだるきに薄(すすき)揺るるを眺め倦み果つ

  ひとり来し秋の作品審査会紫苑群れ咲き君忘られず

  復見ゆる帯解く夢に吾亦紅(われもかう)君の姿のしるくもあるか

  たわわなる柿の実を捥(も)ぐたわむれの愛憎の果て君も狂へよ

狂おしい思いの果てに諦めがやってきます。

  秋桜(コスモス)の乙女のまこと咲き満つも摘む人無きを嘆き侘びけり

  苔に散る紅葉うつくし散る恋のなどて悲しく秋の更け行く

  邪(よこしま)の恋の終はりて赤き実の男ようぞめ指で弾きぬ

  秋の暮れ西洋桜の実を摘まむ指懐かしや涙流れし

  手の甲に涙拭ひし後を見つ極楽鳥花飛ぶかに見えて

  夢にのみ叶ふ片恋忍ぶれど溢る想ひぞ黄菊に添ゆる

  今一度ラストチャンスのあるやなし燃ゆる鶏頭更に燃えたれ

  秋深み色変えていく小紫心の色を訂(ただ)すもむなし

諦めはやがて恋の終わりを自覚させます。傷ついた自分をいとおしむ気持ちにもなっていきました。

  この秋の喪(なく)せる恋に酔芙蓉乱れて染まる色のいとほし

  棘のごと舌に残れる言の葉を吾吐きたれば柊(ひいらぎ)痛し

  鎮めるも締め木に絞ぼる想ひかな樒(しきみ)の割れて実の溢(こぼ)れけり  
       
  童(やはら)ぎてむづかる吾をてなづけてけなげに咲ける石蕗(つわぶき)の花

  山吹を想ひ見よかし実なきとは酷き言ひ条件(くだん)の愛を

  愛しさを担(かた)ぐる背(せな)に零れくる割れし真弓の種ぞ赤かる

  散り果てし公孫樹(いちやう)になおも風止まずはや冬の空むなしく広し

  散り敷ける紅葉踏みつつ行く道に涙拭へり一人しあれば

  山の尾に美男といはる実葛(さねかづら)集まり生(な)れし実ぞ熟れこぼる

この恋を越えて私の新たな生は始まるのだという気持ちになっていきました。彼の結婚式の招待状には断りの返事を出しました。彼も彼なりの区切りの気持ちがあったのでしょう。

  頬を打つ激しき風に寒椿色濃く咲きぬ吾も咲かまし

  凍て風に向かひて揺るる水仙の趣き受けて髪梳る

そして今、この恋を振り返って詠うこともできるようになりました。

  明かり先見つつ綻ぶ花に寄せ失ひし恋和歌(うた)に詠へり

                                      〔完〕
(「題詠2012」で詠んだものです。二三語を入れ替えました。)
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# by byakusuiren | 2012-02-11 18:10 | 歌物語・寄花恋

甘き感触



 たまさかに出会いし定め慈しみ君が手をとり登る山坂

出会ったのは運命だったのでしょうか。

 遠山の雪はや消えて下草は春の準備(いそぎ)にかすか湿りて

出会いは桜狩に出た折に偶々紹介された方の一人としてでした。
話をしているだけで何故あんなに浮き立つような気持ちになったのか、今でも不思議に思います。
吉野の桜の間を何時しか仲間から外れて二人で歩いていました。


 山間(やまあひ)の谷に迫りて山桜人知れずこそ愛しかるらめ

彼には妻子があり、会うことも遠慮されましたが、帰ってからもなぜかその声が聞きたいと会える機会を待ちわびていました。ただお話を聞くだけでいいという気持ちでした。夫と別れて五年、人恋しさが募っていたのでしょうか。
いつしかその方を恋しいという思いに移り変わって行ったのもきっかけがあったわけでもありません。
 
 三味の音に惹かれて雨の春の街そぞろ歩けば人の恋しき
 春の宵左褄取る女居て花弁散らす三味の音哀し
 現れて又立ち去れる幻の花の如くに幻の女(ひと)

ただ偲んでいるだけであったのがやがて夢では顔も知らない彼の妻を嫉妬するまでの想いになっていたとき、体調を悪くして仕事を休んだ日に全く偶然町で出会ったのでした。
 病みてなほ神の護(ちは)へる身にあれば再び逢はむ人を恋せり
 出逢ひしは何に譬えむ奇中の奇跡を辿りて想ひの深し

その偶然を尊びメールを交すようになりましたのは互いに魅かれるところがあったのだといまでも思います。
 文に名を平出するは尊びて切なく想ふ公式令(くしきりやう)なり

やがて二人で街歩きをするときも自然に生まれ、奈良の田舎道を何処ということもなくめぐったりしました。
 大塔の裳層(もこし)を濡らす春の雨髪しなやかに愁ひ深めり
 鶯の初音聴かむと手をとりて通ふ山路に春の色濃し
 などてかく思ひそめけむ澪標(みをつくし)夕さりつ方(かた)法(のり)の声聴く

 恋といふ身のうらに寄る虚貝(うつせがい)むなしきからを幾夜拾はむ
 池の辺に小舟漕ぎ出で蓮の花分け行く夕べ酔ひの仄かに
 成就せる恋もありしが許されぬ成らずの森の恋も哀しき

あれは、遅い春の宵、少しお酒をお付き合いした後のことでした。
 間男の上手き手結(てつがひ)婚(くな)ぐるに色艶増して去る出会い茶屋
 嫌(きら)いとも言へず竦(すく)みてとりあへず抱(いだ)かれてみし春の朧夜
 花蜂の飛び交ふ苑に咲く花の蜜に魅かるる心地して駆く
 晩き朝けだるき春の雨降れば閉ざせる庭に苔匂ひ立つ

それを待ち望んでいたのでしょうか、身も心も乱れて、溺れていく自分をぼんやり眺めていたりしていました。
 掃墨(はいずみ)を白粉(はふに)と紛(まが)ふ女居て笑ひし後に吾(あ)を顧みし
 電(いなづま)に竹美しき影見せて吾が思ふ人面影に立つ
 忍ぶるに身を細らする想ひかな雪間を分けていつや君来む
 そもやそもそもじを恋ふも夢ならば浮名立たぬと契る春の夜
 白梅の散りかかりたる朱唇佛手合わす君に梅散りかかる
 舞ひ終えてフルーツカクテル手に笑みし眼下の夜景春雨に濡る

 耕せる畑に春の陽(ひ)満ち溢る汝(な)が待つ庵(いほ)に心浮き立ち
 逢えばとて矢庭に抱かれ息詰めし身を貫ける深き悦び
 夕されば生きるも死ぬも万有無為渾沌にして身を擲(なげう)ちし
 抱かれて恋の口説(くぜち)に拗ねて泣く月も朧に春の夜更くる
 
 花陰に河豚提灯を灯しけり透けて涼しき相触るる宵
 黄生絹(きすずし)の衣(ころも)に解ける黒髪の乱るる今朝(けさ)ぞ紅のもの憂き
 歌に酔ひ恋に迷ひて行く末の前途遼遠慮(おもんばか)れり

 この夜を死なんばかりに抱(いだ)かひて絡み放さぬ汝が身の燃ゆる
 抱かれる身の芯に熱籠り居て疼く心の匂ひ立ちけり
 逢ふ毎に深まりゆくが怖きかな情けも肉も熱く燃ゆれば
 酌下手の床下手のとも愚痴垂れて拗ねて甘えし人の手払ふ
 抱かれて燃えたる後の貴(あて)やかに染まりし肌に衣纏へり 

 星流る空の下にて抱かるる天駆ける馬身の内に居て 
 射干玉(ぬばたま)の髪を洗ひて君待てば雲居を出でし月輝けり
 君は今咲ける花こそ愛(め)でたらめ吾が顔(かむばせ)も月に照り映ゆ
 望月の一夜を通し照り映えて思ひ残さぬ朝の横雲

 花びらの浮かべる朝の菊の酒少し乱れて女澄みたり
 束ね髪放てば燃ゆる秋の色身は菊の香に抱(いだ)かれてをり
 風涼し朧月夜の真帆片帆波に抱かれ揺れ惑う身に
 とりどりに雑木紅葉の色づけり君に染まれるわが身も愛し

 湧き出づる言の葉君に捧ぐれば恋ひ初めしころ蘇るかな
 目出度くも幸ひ木てふ粥杖を汝が腰に当つ今朝の喜び
 乞ひ債(はた)る恋の言の葉身に重く眼(まなこ)閉じたり雪の降り積む

春に始まり、夏秋冬と一年は瞬くままに過ぎていきました。
それが、いつどうすれ違いが起きましたのか、飽きられたのだったのでしょうか、飽きたということだったのでしょうか。妻に知られたという言葉の真偽も定かではありませんでした。

 汝(な)が心移るばかりの故由(ゆゑよし)を幽かに見せて俯きて居る
 吾が胸に埋むるままのミステリー絡まる糸の解くに術(すべ)無く
 つれなくもあはれといひて臥せ居ればひたと寄せ来る春の潮騒
 連れ立ちて寺町を行く春の宵憾みの裾を翻す風
 花と咲き濡るる羽衣返しなば浦風に和しなれは何処(いづこ)へ
 殊更に幼稚なる嘘重ねるは見透かされたき甘える心
 髪撫づる君の知らざる若き日の髫髪少女(うないおとめ)の姿愛ほし
 寒紅に美しき嘘隠しつつ髪結い直す月高き宵

 花の雨しとど濡らせる宵なれば朽ちたる花の汚きを摘む
 寝もやらず奏でられたる身を厭ひ髪の乱れにおもひみだるる
 髪おろし眼(まなこ)を閉じて態(わざ)とめく甘ゆる仕草なすほどに憂し
 のど赤きおやつばくらめ一夜(ひとよ)居し肌(はだへ)に紅き花びら残る

 卵抱く鳥の如くに身を折りて哀しみを抱き揺りかごとなる
 夏至の夜の枕に長き髪置きて今日と思ひつ出逢ひし雨夜
 夏の夜の叩く水鶏(くひな)に驚きて月の入れるに恋ひてなくなり

行ったり来たりの定まらぬ迷いの中で、次第に遠のいていく人を引き止める手立てもなく、また引き止める気持ちも起きませんでしたのは、怒りだったのでしょうか諦めだったのでしょうか。
 裏切りの支離滅裂の言い訳に流す涙の枯れ果てし夜
 振向けば暑(あつ)れて君の間遠なる日々過ぎてゆき秋ぞ来にける
 遅き日のうららに暮れて黒髪の長きをかこち眺む望月
 情けをも丼勘定といふ君の涙のあとに心震はす
 裏切りに抜けば玉散る氷の刃怒る言の葉身を切り刻む
 別るる日ゲームの如く語らひて涙隠せる君の横顔

別れは冬の日でした‥これも運命だったのでしょうか。
しばらくは放心状態だったと思い返しています。

時はそれでも知らぬ間に移り過ぎて行きました。

 花散れば偲ぶ心のたはるるも狂者となれず狂ほしきかな
 艶やかに無為自然なる生き方を倣いたき日の花は散りけり
 世之介の夢の続きの女護が島何処と知れず虹に包まる
 恩を謝し怨みの数を忘れたく別れし君の文を燃やせり

その後、別れを定かにするためもあって住まいも仕事も遥か遠くの町に移しました。
それでも想いが全て断ち切れたわけではありませんでした。未練でしょうか。

 失へる時を求めて彷徨(さまよ)ひてなほ面影に立つ夕月夜(ゆふづくよ)
 別れしに夜な夜なうらみ悶えたる呻きし声の知る由も無し
 一人居の嘆きをば知り月待てば時ぞともなく夜直鳥(ほととぎす)鳴く
 購いし京の土産の夫婦箸誰と使はむ当てもなき宵
 別れしも嘆かふるてふ伝言(つてこと)に迷ひて露も置き所無く
 別れしに思いの丈を詠ひたる言の葉の数幾つ拾いひぬ
 喩ふれば人居ぬ島へ配流の身便り一つのこぬか雨降る
 手枕の袖濡らける罪深き言の葉さへも今は懐かし
 未練なり綺麗さっぱり忘れしに嘆きの跡の傷も癒えしに
 福寿草咲きて嫁ぎし冬の日を想ひ出でたり去りし日遠く

どういうわけか、その人を偲んでいるうちに、別れた夫との新婚旅行を思い出している自分に驚くこともありました。
 想い出づ二人並びてローレライバルコンに居て聞きたりし日よ
 愛念を失せしに胸に消え残る恋の記念(かたみ)の歌の数々
 コットンの白く弾けし畑広し滴る汗に風の過ぎ行く
 逢ひし日の心震はすひとことに涙溢れし想ひ出のあり
 名残月プロポーズてふ言葉なく別るる人ぞ忘らるまじき
 若き故困ずるままに別れしが面影立ちて消ゆることなし

秋から冬を迎える頃、いくらか穏やかな気持ちで過ごせるようになってこのことを歌に詠み、歌で振り返ったりできるようになつたでした。
 秋の暮れ矢切の渡し遠く見て野菊の墓に悲恋を悼む
 月影に花散り流る御溝水(みかはみづ)楚々と音(ね)響く九重(ここのへ)の庭
 道ならぬ恋の終はりて静かなり道に惑ひし日々遥かなり

やがて新たな春を迎えました。
 春雨に枕くづせる女居て遠きむかしを艶めく謡ふ

新しい年には新たな一歩を踏み出したいと思う気持ちも湧いてまいりました。
 乙女らの清らの姿並びたり春の陽受くる堅香子(かたかご)の花
 春の野に草摘み遊ぶ乙女らの髪に裳裾に風柔らかき
 建ち上がるスカイツリーの背景に富士を並べし川岸の春
 山間(やまあひ)に隠れ咲きたる総桜(ふさざくら)雪のひと塊(くれ)消え残したり
 万代(よろづよ)に伝はる歌の数々を読みて和めり梅匂う夜

結びに
 その歌を励みに詠みし「うたのわ」の人に逢いたし口づけもせむ
 忘られぬ思ひ出ひとつ汝(な)が舌の完骨(みみせせ)に這う甘き感触

(「題詠blog2011」で詠んだ百首を感想をいただいたのを機会に自分の中でも定まりのないこともあってもう一度恋の顛末を詠んだ「歌物語」風に構成し直してみました。題の与えられた作歌ですので幾分無理のある歌もありますがそのままにしています。)
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# by byakusuiren | 2011-11-16 20:37 | 歌物語・甘き感触

花いくさ

  ・「祇園伝説の芸妓岩崎峰子の半生」に寄せて

「黒髪の」舞の仕草の凛として身中に燃ゆは恋の埋み火

指切りに焦がるる身こそ花いくさ意地の恋とて祇園に生くる

拒みつつ誠の恋に溺れけり恋の遊びか遊びの恋か

祇園街鉢に飼はれし金魚かな己が心の知るよしもなし

恋ふ人の面影追ふも澪標流る涙ぞ舞に生くべく
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# by byakusuiren | 2011-05-24 11:38 | 歌物語・花いくさ

13 秋篠の里

鳴海は東京の展覧会の後、辞表を出すことにした。

 山茶花の垣根に溢れ冬来たる汝(な)に逢はざればと暫し想ひし
 
 包まれて仏の見えず霧の中恐れし心今蘇る

 抱きつつ明日をな思ひ煩ひそと語りし人の声のやさしき


多恵は一人初冬の唐招提寺を訪ねる。

 訪ぬれば想ひ托せる蓮枯れて二人枯れたき不安と願ひ

 その人の妻の心を思ひみて吾(あ)を振り返り歩む池の辺


その帰りに女連れの天野に会う。バーをやっているという。
休館日に二人は花背に出かける。

 際立てる山に秋の陽やはらかく黄に紅に色なす紅葉
 
 恍惚と不安とありて刃を渡る覚悟出で来し吾に驚く

 いやさらにものの視ゆるが怖ろしき確かむべきはいづちへの道


鳴海が東京に出た折、家に帰ると、妻は不在だった。妻が帰ってきたのは午前一時過ぎだった。その朝に。
  
 救いなき夫婦になりて茶を飲めり涙こぼせり悔やみの果てに 

 救いなき夫婦になりて茶を飲めり還ることなき寂寞を見る

帰りに米原で多恵と待ち合わせし長浜に向かった。

 冬の田の蕭条(しょうじょう)として広がれり鴨鍋の彩蕪の糠漬

多恵は日一日鋭敏になる身体の歓びに不安になったりもする。

 重ぬれば鋭くなれる歓びのいや増す今宵紅葉散りばむ

 「ねえ、あなた、なんでも言うこときくから離さないで」と呟きしとき


 ふたりして刃物の上を渡らむと覚悟する夜哀れなるかな

多恵が辞めたのは十一月の末。やがて秋篠に貸家が見つかり、そのための寝具を買いに出た折、多恵は鳴海に街中で偶然出会う。食事のとき、南円堂のの昼の鐘を聞く。

ある日、慶州の秦氏が館に挨拶に来て韓国で美術史を教えないかと誘われる。多恵が慶州で、この美しいまちで暮らしてみたいといっていたことを思い出す。

秋篠の里に借りた一軒家に越したのは暮の二十二日。多恵は天野に会っても「水のようになった」と思う。二十五日で鳴海は館を去った。
二十七日、ふたりは斑鳩を歩く。

 白壁に冬の陽鈍く光りをり思ひ懐かし斑鳩の里
 
 冬の陽の優しき陰の法隆寺釈迦三尊に心預けき

 見失ひ都会の毒に染まりたる己を還す術もなき妻


 ふたりして刃物の上をあゆむゆゑ男に倣ひ心預くる

二十九日の朝、ふたりは聞こえるはずのない「鐘の音」を聞く。

 何故に聞こゆと問われ術もなく抱きて鐘の音聞くばかり
 
 鐘の音の聞こゆる朝に抱かれて歓びの果て吾を失ふ

 忍ぶ身は桶に一束水仙を投げ入れる除夜松飾なく


正月の明け方六時に「鐘の音」を聞く。多恵は秋篠寺に詣でて心を預けた。

 晴れ渡る空に真白きちぎれ雲明るきなかに抱かれてある

五日が剣道場の鏡開き、帰宅すると子供からの年賀状が届いていた。

六日、範子は子供宛のはがきで知った秋篠の家に向かう。

 尋ぬれば塀越しに見る夫の顔の懐かしや定まらぬ目に

範子と顔をあわせた後、多恵は空いたままにしてあるマンションに戻った。
範子は手洗いで便器のカバーを見て、ここに二人は尻をのせていると嫉妬し、はずし捨て、また、鏡を見、多恵を写すものと睨めば、己が醜い姿が見えるばかりだった。
酒の燗をしながら範子は帰ろうかと思う。

 揺るる心戻り道なく何故ここにありしやと問えど答えぬ

 手に握る出刃包丁に身を任す「あなたを刺してあたしも死ぬ」と

 裾に見ゆ夫の毛脛嫉みたり女の肌に触るるを刺しぬ


マンションに戻った多恵は落ち着かなかったが、そのとき聞こえるはずのない鐘の音を聞く。秋篠で聞く朝の鐘と同じ音色だった。不吉な予感がし、急いでタクシーで戻ると、そこには範子に足を刺され、傷ついた鳴海がいた。

 ふたりして刃物の上を渡る覚悟のあるゆゑに耐え忍ばむと

 刃を抜きて縛れば痺る足指を曳きて思ひの重くもあるか

 うつ伏して身の打ち震え止まざるに己が振る舞い嘆き悔やめる

 拒まるを解りしものの奈良に来し朝の辛きを惨めと嘲笑(わら)ふ

 見苦しき姿さらせる吾なるを解き得ぬままに鐘の音聞く


 いましめとならむか春の鐘の音三人それぞれ聞きたりし朝

翌朝、病院の前でひそかに夫に別れを告げた。東京に帰った範子には勝森のマンションしか行くところはなかった。夫を刺し自分も死のう、と決断したのは、あれは本心だったのか。この暗い内面の風景は、もしかしたら生涯消えないかもわからない……。

 音もなく色もなき風虚ろなる身体の中を吹きすぎてゆく

一方、秋篠では、多恵が鳴海が法隆寺で語った友人の歌を引き、「いま一年あなたに従いて行きたい」と語り、鳴海もまた「古風な女といま一年あるいてみよう」と思う。そのとき、鳴海は遠くで春の鐘のなっているのを聞く。
 「春なればいまひととせを生きんとてくらきみだうにこころあずけぬ」

                                          完


最後に、紫苑さんのこの立原正秋「春の鐘」をモチーフにしたお作を転載させていただきます。

 春まだき朝の鐘の聞こゆれば彷徨ふ己が身をし見つむる
 身の裡に帯びる刃(やいば)は不確かで此(こ)に在る生も死も視えぬまま
 ゆるゆると絞むるがごときTOKYOの高架のもとに荒みゐる無為

 みほとけよ四温の雨の帳ごしな見そ現世にまよふ男女を
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# by byakusuiren | 2011-03-10 22:32 | 歌物語・「春の鐘」

12 落葉


八月中旬、範子は、夏休みに鳴海を訪ねた子供達の話から女の存在を疑い、奈良に出かけた。
美術館は夏期休暇中で、鳴海は韓国に行っており、石本という女も実家に帰っておらず一緒に韓国に行っていると思う。
 
 夫居ぬ部屋を探りて狂ほしくただ立ち尽くすなす術もなく

 顔知らぬ女に向かひ嫉みたる己が心の抑え難かる


欅(けやき)の葉が落ちる季節となり、東京のデパートで佐保美術館所蔵展が開かれ、範子は会場に出かける。石本も来ていることを知るが、会えないまま泊まっているホテルを探る。翌朝、夫名のホテルの部屋に出かけると夫はひとりで泊まっていた。女の気配はなく、とりつくしまがなかった。夫と別れ行き場もなかった。勝森のマンションに行くしかなかった。
 
 虚しくも行き所なく不貞なる部屋に身を置き籠りし吾よ

 己への復讐ならむ飽くことのなき肉の欲に溺れ溺れて


マンションから出た時、タクシーの中から夫が見ているのに気付いた。
 
 焼きつくす身は毀れ行く妻なれや突き放されて虚しさ充ちて

翌日、夫は子供との食事に帰ってきた。
 
 言い合ひて共に毀れし身なりとは嗚咽の中に許しを乞うも

 一年の裏切り知りて死に絶えし己が心を妻に語るも

 失へしものの大きさ知るにつれ醜き己も抑え難かり

夫が奈良に帰って、範子はやはり奈良に行こうと思う。

 端正に過ごせし遠き日々思ふ赦されませば如何に安らふ

範子は多恵の部屋に行き二人に合う。その夜、夫のマンションで一泊するが他人であることの確認でしかなかった。
その朝、夫の話を聴きながら、仲の好い夫婦がいる気を起こし、なぜ奈良に来なかったのかと悔恨がよぎった。範子にはどうにかして鳴海との間をやり直したいという願いはあったが、鳴海は範子を許せず、冷たく線を引いていた。

 新しき道見えずして空々し無縁の街に別れを告ぐる

範子には奈良を出ると帰る所はなく勝森のマンションに行くしかなかった。肉に溺れて忘れるしかなかった。そして、救いようのない家に帰るのだった。母に自分の浮気のことを悟られても、どうすることもできなかった。

 欅落葉のカサコソ落つる風もなき十一月の午後の陽溜まり
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# by byakusuiren | 2011-03-09 22:35 | 歌物語・「春の鐘」


横雲の睡れる蓮の歌物語
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