横雲の「題詠blog」2013に投稿したものをまとめていきます。
順次更新しながらなので「物語」になりますかどうか。
設定人物
・慶介(病身の妻あり・聡子の父の妹の連れ合い)
・芳江(慶介と密かな逢瀬の年を重ね来た女・夫とは十年前に離別・子ありやがて気づかれる)
・聡子(慶介の姪・OL・父を幼くして失くし慶介を慕っていた)
・美咲(芳江の娘・高校生)
四人のそれぞれの心を詠う。
芳江と慶介が出会ったのは十年ほど前のことだった。慶介が四十を過ぎた春、出張先で知り合ったのだった。
それから三年ほど過ぎた春に、慶介の単身赴任を契機に更に関係が深くなり、密会を重ねるようになっていた。だが一人で子供を育てている芳江はなかなか家を明けられず、ここ数年は、月に一度の昼間の逢瀬と年に一度の泊の旅が決まりごとになっていたのだった。
だが、この春に赴任を終えると同時に慶介は妻の介護に専念する状況となっていた。
二月下旬、慶介と芳江の二人は、泊りがけで出かけることはこれが最後になるかもしれない年に一度の逢瀬で、梅見を楽しみ、久しぶりの夜を過ごした。
いとほしいや新肌(にいはだ)触れし春の夜は十年(ととせ)を過ぎて更に色濃し
添ひ臥して耳に残れる甘噛みの疼ける夜は眠らずにをり
各々の願ひ交はせる夜のあればのどやかにして空の明け行く
過ぎゆける十年(ととせ)を偲び睦み合ひやがてながめし明けの空かな
空高く叫(ひめ)く鳥飛び明け行けばやがて悲しきいとま告ぐ時
聡子は、「叔父様」と呼んでいるが聡子の父の妹が慶介の連れ合いで、父を早く亡くしていた。慶介を父のように慕っていたが、慶介の妻の具合が悪くなってからは、単身赴任していた慶介を援助し勤めながらも留守宅の妻の買い物などの面倒を見ていた。聡子には慶介への密かな思いがあった。
草が若やかに色づきはじめ、けしきだつ春霞に木の芽もうちけぶるようになると、人の心もまた騒がしくなるものなのだろうか。
君のいる街への定期乗車券残る日数の虚しくなりぬ
葦の根の別けても人の恋しきに身をつくしてやひとよに濡るる
瞬(しばたた)く瞼に隠す哀しみを気づかぬままに見送りしかな
テーブルに頬杖を突き眺めいる君の姿のなほいとほしき
実家に帰ってきた日、妻の世話は「もういいよ」といった後、「傍に居たい」と身を寄せてきた聡子を慶介は抱きしめていたのだった。
梓弓いるさの山の月影にほの見ゆ君の媚(こ)ぶる色賞(め)づ
来む春を待つや初音の囀るも習はすべくにかひなかるらむ
深き沼(ぬ)に入る影わづか春霞おぼろけならぬ契りと思へど
ねに鳴ける梅の極枝(はつえ)の鶯(うぐひす)のなかぬ日あるを君は知らじな
春の夜の更けてはかなき夢追へば叶ひしことやうつつならなむ
塞き敢ふも吐(たぐ)れる想ひ歌にして叶ふる恋におどろかれぬる
年強仕事麗しく生きし日に君に出会ひて蹌踉(よろぼ)ひたりき
逢うことは常ではなかったものの、実際離れてみると、芳江には思いが募った。
あしひきの山の彼方に去りゆけど通ふ心はひとつなりけり
恋の闇迷ふ心の闘ひて明けぬる空に残りたる月
春の月同じ想ひに眺めかし朧に濡れて雲崩れたり
嘆けとて色香を散らす桜かな帰らぬひとの涙ならむや
慶介にとっても思いは同じだったのだろう。芳江にはこんな歌を返していた。
一人舞う静御前や仲の春眉を払ひし君を懐(おも)へり
目覚むれば涙に濡るる梨花一枝開くる帳(とばり)に面影ぞ立つ
合ふも不思議合はぬも不思議夢頼むあしたの床ぞおきうかりける
敷妙の手枕(たまくら)恋ひてひとりねの夢の名残をさだめかねつも
聡子を抱いたものの慶介は悔やんで「これきりだよ」と言い聞かせ、そっけなく連絡も取らないでいたのだが、一夜の契りに聡子の想いは更に募っていった。
夜深み灯(ともし)滅(き)ゆるも暗きまま燃ゆる心ぞむなしく滾(たぎ)る
言ひ期(き)せし言の葉守(も)りて鎮めかし消えぬべき身を闇にうづめり
汝(な)が真似に銜えしタバコメントール咽(む)せしは苦き涙ならずや
揺らぎつつ幾(ほとほ)としくも溺るがに離(か)れたる君の行くへ探れり
春の野に追へる逃げ水はかなくもいかでもらさむなみだの袖に
魂の緒の玉に勝れる財(たから)とて乱れ緒解かば君還り来む
こうした聡子の想いには慶介は応えぬまま、やがて季節は夏を迎えようとしていた。
芳江からの便りがあり、応える慶介は昂ぶる気持ちを抑え難くなるのだった。
初夏(はつなつ)のはずれ(葉擦れ)の音の子守唄隠れし月の影やかそけし
逢はざれば猛り立つ身のいかにせむ子守唄とてやすらふものぞ
夏雲の猛れる峰の奇(あや)にこそけふは恋しき人の面影
はしけやし羽刺に託す勢子船の漕ぎて銛(もり)打つ気の昂ぶりて
聡子からも便りが来る。それに慶介は応えていた。
寝(いね)し後悔し泣きする宵重ぬ憧れし日は嘆き無かりし
うらみても少女(をとめ)の心みてしがな葛の葉陰に物をこそ思へ
葛の葉の恨みの風にかへる日やいひしにかなふおもて嬉しき
イエスともノーとも知らず憂きものは身を心ともせぬ世なりけり
わが前に立て銃(つつ)の礼謹しみて心も身をも謝らせたし
玉の緒のよるはたえせす誇りかにわが前に立つ君を待ちゐる
こうして、聡子のいだかれる夢は実現することになったが・・。
秘密裏に二人で分かつカステラを罪と判りてなお愛(いと)ほしき
若干(そこばく)の罪を重ねしよの苦くとにもかくにも想ひ捨つべし
眠れない夜は涙を滲ませてそっと撫でてる慣れたる記憶
だが、慶介にはやはり聡子はこれ以上親しんではならないという気持ちが強く、自分には他の人がいるのだと打ち明けた。気持ちに整理つける意味もあって妻の介護を聡子に頼み、慶介と芳江は久しぶりに初夏の穂高・高山・上高地を巡る旅に出た。
雲のなき日本アルプス登り行くロープウエイは青空に融く
枕上(まくらべ)に喋喋喃喃秘かなり夢路にふける山旅の宿
見し夢に間(あい)の楔びの堅かれと飛騨の匠に恃めしものを
飛騨の里繋ぎとめたく掌(て)を合はせ更け行く夜を惜しみたるかな
アルプスの父と呼ばるるウェストンの眼に賑わえる山の初夏(はつなつ)
寄り添ひし腰の括(くび)れに手をやりて萌ゆる緑を花を愛でたり
返り花互(かたみ)に見詰む眼の奥の青葉にかなふ想ひ新たに
旅から帰った慶介から旅の土産の「さるぼぼ」をもらって聡子は不機嫌な顔のまま帰った。
その頃聡子の詠んだ歌。
憤る般若(はんにゃ)の顔は見せまいと思へど辛き縁(えにし)の守り
バンザイの「さるぼぼ」抱きて涙してダブルネームの人を恨めり
雨衣受戻したき身のあればすがる心ぞやむは悩まし
ひとり身を商山に入る月夜かな共に見上ぐる契りもなしに
駄目のみの残るひとよを嘆かひて隠(こも)り恋ひつつなけるひぐらし
この聡子の歌に応えたものか、慶介の歌。
善悪の報ひの影の随へば見上ぐる月の清(さやけ)けきも憂し
歎くまに五衰の穢れ影増せり契れる袖の褪せにけるかな
契りおくも真秀(まほ)の詞(ことば)とならざるに猶恋ひやまぬひぐらしのこゑ
芳江もまた歌を慶介に送ってきていた。迷いの中に彷徨うしかなかったのだろうか。
永遠(とこしへ)に迷はむものか涙川わたる淵瀬のしるよしもがな
縒り掛けて恋ふれば苦し魂の緒の何処(いづこ)をはかと彷徨(さすら)ひぬべし
慶介の妻は心筋梗塞を患い劇薬の助けをかりるほど不安定な状態ではあるが、夜の生活は禁じられていたものの普段は安らかな家庭生活を送っていた。具合が悪くなると何かと聡子に手伝ってもらうようになっていたが、それというのも早くに父親を亡くした聡子が幼いころからよく叔父の慶介を父のように親しんで家に出入りしてからだった。聡子が成長するにつれその姿が妻の若いころに似ていくのを慶介は不思議なものと眺めていた。妻の若いころの洋服を貰って着ているときなどは時に驚かされたが、慶介が聡子を好むのもそこにあったのだろうか。聡子の一途な想いをどうすべきか迷いながらその若い体を求めてもいた。
踏み入りて闇に迷へる獣道忍ぶやいづこ花の匂へる
氏神に赦し請ひたり涙川うくもそぼちてほしぞわづらふ
確かなる別るる所以上枯(うはが)れし忘れ草こそうつろひの花
慶介と聡子とは逢っては別れを言い、別れを言った後でまた逢うということが繰り返されていた。
いかにして道なき恋に天刑の行方知るべき霧のうき橋
投げ返すせりふを知らず黙したり恥ぢらふ身には懲らしめの技
乱れつつせきれい(鶺䴇)叩く水の辺に心許なく空見上げたり
それにつれて芳江との逢瀬は間遠になっていた。
かきくらす心の闇に墨染の袖ふる人のまぎれけるかな
兄弟(はらから)は如かず妹背ぞ四方(よも)の海ただよひゆきて恋の散り果つ
関係が間遠になってに気分の振幅が激しくなったからか、芳江はそのことで娘に慶介との仲を覚られ、それが道に外れるものと娘に諭される。
糺(ただ)すごとひたと視る瞳(め)ぞ真愛(まかな)しき涙の責むる痴れる心に
芳江の娘美咲に急かされて、上京する機会に三人で会うことになった。黙しがちな二人を前に娘は笑顔で楽しげに高校生活を語っていたが、慶介と二人になったとき、この後どうするつもりなのか、「覚悟はあるのですか」と美咲は問う。娘の勢いに押され慶介は「すまない」の言葉を発していた。
青鳥の怖るるなしに啄ばめば熟れし柿落つ秋の暮方
若鮎の質(ただ)す心得意図透けて清き流れに洗はるるかな
背を向くや産毛の残るぼんのくぼ若きに動くこころ恐ろし
慶介は翌日そのまま東京に残った芳江の娘を夕食に誘った。
己(おの)が秘史語るも虚し若人は懺悔の弁に笑み返したり
死ぬ程に別れ辛いと「星影のワルツ」をうたうひとの幼し
ほころべる赤ら嬢子(おとめ)を誘(いざ)なひて良らしや花の咲くを見まほし
うそばっか清少納言にあらざればしたり顔にも花は咲くまじ
うっすらと笑みこぼしつつ手厳しき応(いら)へも嬉し花の咲きなば
そんなやりとりの後には、美咲と慶介の二人は秘かにこんな折句もやりとりもしていた。
梓弓入さの山に師の君と手遊びのわざ夜ぞ更けゆくに (折句・あいしてよ)
悪しき道誘(いざな)ひかくる小夜更けぬなが名を呼ぶや言ふ甲斐無くも (折句・あいさない)
コケティッシュな美咲ではあったが、賢明にもそれ以上には仲を深めようとはしなかった。
それにつれ、このことがあってから、芳江と慶介の仲もいっそう離れていくようになった。
いかがせむ身の修まれる日のあるや迷ひ果なむはれぬ恋路を
身を責めて自分探して彷徨ひぬ凍れる路の融くる日あるや
一方、慶介と聡子とは切れようとして切れぬ関係が続いていた。
山吹の止む時もなく柔肌を八重につつむも実を探りくる
われがなほ折らまほしきは八重霞薄き衣になりし君はも
やがて年も明けた。
春風に寄り添ひ居れば夢に見つ左扇を歓べる日を
お飾りの歯朶青々と艶あれど恨みのしろく重ぬべきかな
一方、美咲は慶介と疎遠になってからの母気力のなさを心配していた。
二人してぼんやり過ごす年の明け寡婦めく母の老いゆくをみる
餅花の何華やぎて女正月ふるすばかりの音に鳴けるかな
その頃、美咲が慶介に贈り、慶介が返した歌にはこんな歌もあった。
手弱女の恋ふる心の揺れにけり夢に見えつる君つれなくも
夢といへ己が要らざる差し出口数ならぬ身は忘れ果つべし
このようにして慶介からは次第に離れていく母娘であった。
それに比べると慶介と聡子の仲は、なかなかはっきりするということがなかった。
泡沫(うたかた)の唯(ただ)一途には非ざるも消えてはかなく離(か)るれば恋し
逢えばまた鯨波寄せ来る如くして一夜限りの身をゆだぬかな
ひたすらに破局に向かふ心地せり逢ふは限りと夜ごと誓へど
女(め)の数多(あまた)ドアツードアの君なればそねむかひなく思ひねになく
これらの聡子の歌には、慶介はそれぞれ次のような歌を返していた。
吾もまた縁なき衆生(しゅじょう)と見捨つらるまつもかひなくふけゆけるかな
浮き橋の間覚束なきは世の例(ためし)一夜限りと重ぬる夜も
誓へども季節外れに咲く花を帰り狂ふといふも更なり
恨まれて証しを立つるうたかたのうき身ぞ哀しひとり泣かるる
この二人の付き合いを遠く離れたといってもやがて芳江も知るようになる。
その芳江の慶介に贈った歌。
濁り江に澄むこと難(かた)き影ぬれてふりまさるらむ五月雨るる夜
慶介の返し。
曇り夜の恋路に惑ふ隠し文かつ恨みてぞうきになかるる
さらに芳江の返し歌。
五月雨の止むも止まれぬ忍ぶ恋忘らるる身のよにふりぬべし
はてさて、この三人の恋の行く末のいかなるものかを知る人あらむや。
(完)